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東日本大震災から半年、そして米国同時多発テロから10年を迎えました。 2001年9月11日そして・・・ 2011年3月11日 どちらも世界中の人々が驚き、悲しみ、涙し、そして社会に大きな変化をもたらしました。 テロ発生から10年経った9月11日、米ニューヨークの世界貿易センター跡地(グラウンドゼロ)では厳重な警備体制のもと追悼式典が行われましたね。 故筑紫哲也さんは、あのテロの瞬間、世界中の人々が自分がどこでどのようにあの映像を目にしていたか一生忘れられない瞬間だっただろう・・・とおっしゃっていましたが、私の目にもあの光景はつい昨日のことのように鮮明に焼きついています。 丁度シンガポールから一時帰国し、実家でお風呂に入ってるときでした。母が慌てた様子で「ニューヨークで大変な事故があったわよ!」と呼びにきました。急いでお風呂から上がって目に飛び込んできたのは一機目が突っ込みもくもくと煙を上げたワールドトレードセンターの姿。思わず当時3歳と1歳だった子供たちを抱きかかえそのまま言葉をなくしました。そしてその数分後、2機目の飛行機が突っ込む姿を目の当たりにし、これは事故なんかではなくテロなのだと気づくのに時間はかかりませんでした。 主人の会社のNY支店は、ワールドトレードセンターからミッドタウンにすでに移転していたので被害はありませんでしたが、ワールドトレードセンターに勤めていた知人もいたので無事が確認されるまではとにかく不安な気持ちでいっぱいでした。 死者およそ3000人、負傷者6000人以上。その中には24名の日本人の尊い命も犠牲になりました。その後のイラク戦争・アフガニスタン紛争も含めれば、この事件を発端とする犠牲者は数え切れません。 ニューヨークで(エンパイアーの上から)撮ったこの写真を見るたびに、あのテロが起きるまではこの景色に聳え立つツインタワーがあったのだと思うとこんなことがあっていいのかと本当に切ない気持ちになります。 世界はこの10年、アフガニスタン攻撃やイラク戦争など、9.11に端を発する「テロとの戦い」に振り回されてきました。オバマ大統領が就任した後も中東が戦場であることには 変わりなく、中東和平問題も頓挫したまま。5月には首謀者と断定されたウサマ・ビン・ラディンも殺害されましたが、アフガンやイラクでは6100人以上の兵士が命を失い、「テロとの戦い」の戦費は100兆円を超えていると言われています。 本当にアメリカは勝利したのか・・・疑問に思う人は多いはず。 9.11の追悼式典でオバマ大統領は、旧約聖書詩篇第46章を読み上げました。 神はわれらの避け所、また力。 苦しむ時、そこにある助け。 それゆえ、われらは恐れない。 ヤコブの神はわれらの砦である。 あのテロの瞬間、自由の女神の目には一体どのように映ったのでしょうか。 2001年9月11日、朝8時46分(日本時間夜10時46分)ニューヨーク、ワールドトレードセンタービル北棟にアメリカン航空11便が突入。そして、アメリカ人だけではなく世界中の人々の視線が注がれる中、今度は9時3分に2機目が南棟へと突入。ワールドトレードセンタービルは爆発炎上の後、崩壊しました。その約40分後、アーリントンのアメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)へ3機目が突入。全部で4機の航空機がハイジャックされましたが、残る1機は乗客の決死の反撃により、目的地には到着できずに墜落しました。 「この悲しい出来事は、一生過去のものにはならないだろう。自分たちの一部として一生存在し続ける」とマッドデイモンが話していましたが、直接の被害者でなくてもあのテロを境に「心の変化」に気づいた人も多いのでないでしょうか。人々が助け合い思いやるその姿は、今回の東日本大震災と重なるところが大いにあると思います。 私がニューヨーク(マンハッタン)で暮らすようになった2007年には、ニューヨークは世界一安全な街と言われるほど、監視装置も完璧で、街には警察官の姿が溢れていました。街は活気づき人々の笑い声は溢れ、セントラルパークでぼーっとしながら平穏な毎日に感謝したものです。 それでも心のどこかでテロへの恐怖心はあったように思います。 3.11の震災の時、私はブログの更新をしようとパソコンを開いた直後揺れに襲われました。その時、私が無意識に取った行動は、防災リュックを背負って防災頭巾姿でマンションの非常階段をものすごいスピードで駆け下りる、というものでした。(よほどのスピードで駆け下りたせいか、実は震災の後の2日間、筋肉痛と膝の痛みでまともに歩くことができませんでした) 震災の後同じマンションのお友達は口々に、テレビをつけたテーブルの下に隠れたと言っていましたが、私はマンションの中にいたら危険と咄嗟に判断してしまったのです。非常階段を駆け下りているとき、私の脳裏に浮かんだのは映像でしか見たことのなかったワールドトレードセンターが崩れ落ちる瞬間でした。私が住むマンションは、 40階建ての大型マンション。築年数も浅く免震構造もしっかりとされているので普通に考えればそんな簡単に崩れるようにはできてないはずなのに、それでもあの瞬間恐怖心にぐっと押しつぶされてしまったような気がします。 ニューヨーク駐在が決まった時、私は最初は子供達の教育のためマンハッタンではなく郊外に暮らすことを望みました。それでも当時、支店長が郊外に住んでいたことから、サブであった主人はマンハッタンで暮らす選択を余儀なくされました(勿論ほかにも通勤がラクということもあったのですが) マンハッタンでの暮らしには満足していましたが、それでも主人には常に「有事の際には僕は家族のことではなくなるだろうから家のことは頼む」と言われていました。楽しく暮らしていてもやはり心の中ではいつも緊張感がありました。 現在のアメリカも平和ではありながら、それでも「ホームグロウン・テロ」という新たな脅威を無視することはできないように思います。欧州で生まれ育ったイスラム教徒の若者たちが自身のイスラム教の教えを絶対視し、国際テログループの手足となったり、財政支援をする過激なイスラム主義者が増えているのは悲しいことながら事実でしょう。 3.11の震災では失われなくてもいい命が沢山失われました。 震災以来、いろいろと思うことはあってもひとつひとつの命の重さを考えると震災のことを軽々しく口にすることは出来ずブログでも震災のことには殆ど触れずにきました。 何かを得る喜びは大きいけれど、その何かが大切なものであればあるほど、それを失った時の悲しみは計り知れないものがあると思います。 あの日で人生が変わってしまった人たちに少しでも癒しと慰めがありますようにと神様に祈らずにはいられません。在主。
by koeda-ny
| 2011-09-14 23:31
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